院長 未病を治したい医師 鹿島田
忠史(かしまだ ただし)
恥ずかしながら、私が建築から医療の道に転進した直接のきっかけは、建築業界から落ちこぼれたからです。
幕末から商家だった鹿島田家の血を引くせいか、はたまた家族や親戚に普通のサラリーマンがほとんどいなかったせいか、高校時代から束縛されずに一人でできる仕事をしたいと願っていました。
思いついたのが、高度成長時代の代表ともいえる建築業界の設計事務所所長になるとの安易な夢です。
そのためには、工学部の建築学科を卒業し、建築士の免許を取らなくてはなりません。
とはいえ、高校時代に学業をサボり陸上競技ばかりに熱を上げていたので入試の失敗が続き、2年間の浪人生活の末に何とか横浜国大の建築学科を卒業できました。
そして、設計事務所を開設する前段階として大手建築会社や設計事務所で実力を付けねば、と思い積水ハウスと設備設計事務所の2箇所に勤務しました。
しかし、現実は甘くありません。
設計事務所で成功するためには、設計能力、コネ、はったり(=自己アピール能力)の三要素が必要だったのです。
業界に身を置き、三要素のうちの一つもないことに気づくのに数年とかかりませんでした。
どうしようか、と思い悩んでいるとき、眼に前にあったのが家業の指圧治療院です。
一人でもできて、結果が出れば顧客(患者さん)に喜んでもらえ、コネも必要ありません。
とはいえ、高校や大学の仲間は官庁や大企業に務め、立派な肩書きを持っています。
そうした環境で自営業に転身し、身分や収入の保証のない立場になることには正直抵抗がありました。
でも生活のためにはなりふりかまう余裕はなく、専門学校に入学し指圧と柔道整復師の国家資格を取りました。
指圧専門学校の1年生の夏、秋葉原にあった津田温古堂の講習会で橋本敬三先生の操体法・操体理論にめぐり逢い、この思想こそ本物で普及に人生をかけるに値すると直感しました。
そこで、柔道整復師専門学校卒業後、卒後研修先として橋本敬三先生の温古堂を選び、1年間仙台に住み毎日温古堂に通ったのです。
温古堂に行く前は、何となく操体法の技術と操体理論を直接見て修得できればよいと期待していただけでした。
ところが敬三先生の側で過ごすうちに、本当に大事なことは敬三先生の医療/健康思想(=操体理論)だと気付いたのです。
研修を終えて帰京し、実際に指圧師として仕事を実家するうちに資格の限界を感じ始めます。
目の前の病人に起きている現象を操体理論を基づいて解決しようとするとき、
検査や診断、投薬ができないのです。
操体理論の根本的な思想「後が気持ちいいは、体にいい」をとことん追求するには、医師免許を取得して医院開業をめざすしかありません。
一念発起して、建築学科受験時代の参考書を改めて引っ張り出し、集中的に受験勉強して幸いにも東邦大学医学部に合格することができました。
医学部で膨大な医学知識を詰め込みましたが、常に頭から離れなかったのが「この知識を患者さんに適応して、はたして気持ちよくなってもらえるだろうか」という操体理論でした。
卒業後も一般的な病院での臨床研修はせず、人間ドック担当医として予防医療の研鑽に努めました
そして、平成3年に操体法の理念(操体理論)を100%生かす自由診療の誠快醫院を開業したのです。
自由診療(自費診療)は、美容整形を中心とした高額な医療、ぜいたくな医療とのイメージがあるようで、開業当初は理解が得られず、閑古鳥の鳴き声を聞く日々が続きました。
それでも、多くの人が恐れているがんに対し、操体理論に基づく免疫強化療法でなんとかしたいとの思いから、各種の治療法やサプリメントを検討しホームページを主体に情報発信を続けました。
そうした情報がきっかけで多くのがん患者さんが来院されるようになり、お陰様で徐々に経営が安定しました。
来院されるがん患者さんの中には、標準治療に当院の生活習慣改善や薬剤/サプリメントを併用し、術前にあったはずのがんがどこを探してもなくなった例や、余命3ヶ月と宣言された白血病の方が3年後も元気に過ごされている例もあります。
こうした著効を喜んで下さる患者さんを目の当たりにするとき、医療者として本当に生きがいを感じます。
最近読んだ天外 伺朗氏著書の「教えないから人が育つ」の中に、起きた問題に対しては「問題対処」ではなく「問題解決」を目指すべきとの文章があります。
ここでいう「問題対処」とは、目の前の問題の発生原因をさておき、とりあえず出来る対処をすることを言います。
医療でいえば、症状を何とかなくすか軽減する対症療法にあたります。
「問題解決」とは、問題が発生した根本的な原因を追及し、その原因を無くすことで問題そのものが発生しないようにすることです。
医療では予防医学・根治療法がこれにあたります。
実は、現代医学で行われている治療の大部分は対症療法です。
一例をあげれば、本態性高血圧治療での降圧剤は、血圧の上がる根本原因は解決せずに「とりあえず血圧を下げましょう」の治療です。
放置すれば危険なほどの高血圧ならば、緊急避難的に降圧剤も当然必要ですし、大変意義の高い治療です。
しかし、私は体重の減量や塩分感受性のある人への減塩、インターバル速歩による循環抵抗の低減、頚椎のゆがみ取りSPATによる降圧など薬物以外の生活習慣・生活環境改善が長期的には王道だと信じています。
そうした予防医学・根治療法を目指す方向性に賛同して下さる人が少しずつでも増えていくよう、これからも患者さんの「後が気持ちいい」を指標に努力し続けるつもりです。
<経歴>
昭和23年:東京都にて享保年間(江戸中期)からの商家家系に生まれる。 血液型A型 かに座
昭和42年:都立日比谷高等学校卒業
昭和48年:横浜国立大学工学部建築学科卒業。同年
積水ハウスに入社し建築士免許取得
昭和50年:設備設計の大手PAC技術士事務所に変わり、公共施設の設備設計を主に行う。
昭和53年:建築の才能不足を悟って医療に転進を決意。長生学園入学
昭和55年:同校卒業。あん摩マッサージ指圧師免許取得
昭和56年;花田学園(現日本柔道整復専門学校)卒業。柔道整復師免許取得。
当時の担任は学校法人花田学園現理事長櫻井 康司先生
花田学園卒業後は操体法の創始者橋本
敬三医師の元で一年間技術と思想を学ぶ。帰京後治療師として活動するが、制約の多さと現代医学的診療法に疑問を感じるようになる。
昭和58年:前年秋より一念発起し再度受験勉強。東邦大学医学部入学。
頭の表面と中身の薄さに悩みながら、
平成元年:東邦大学医学部卒業(40歳)、同年医師免許取得
平成3年9月:内科・整形外科・リウマチ科標榜の誠快醫院開業、現在に至る。
東邦大学卒業後は、東邦大学医学部の病院管理学教室に籍を置きながら、大森の牧田総合病院健診センターに人間ドック担当医として勤務。健診センター長の笹森
典雄先生の親身なご指導により、平成3年に発表した「総合検診における骨老化早期診断法の検討」で平成4年度総合健診学会学会賞を受賞。
外部職歴・資格:
日本柔道整復専門学校講師、RMIT(ロイヤルメルボルン工科大学)日本校講師を歴任
SPAT UNION CLUB(SPAT普及団体)会長、
日本操体学会正会員、元人間ドック学会認定医
著書:
操体健康法:宙(おおぞら)出版、平成10年夏
治療家の為の5分でできる骨盤矯正法SPATビデオ: 医道の日本社、平成15年
SPAT-超短時間骨盤矯正法:源草社、平成18年(廃刊)
SPATビデオ【頚椎・胸椎編】:医道の日本社、平成19年
がんを再発させない5つの習慣:主婦の友社、平成22年3月
自分で治すひざ操体法:学研ヒットムック、平成26年6月
がんを再発させない生活術:主婦の友社、平成27年7月
がんを再発させない暮らし方:主婦の友社、平成29年10月
快腸SPAT:あさ出版、平成29年12月
ゆがみ取りSPAT上巻−骨盤・総論編−、ヒューマンワールド、令和2年10月
ゆがみ取りSPAT下巻−胸・頸椎編−、ヒューマンワールド、令和3年4月
趣味;読書、カラオケ、テニス、映画など。
看護師 鹿島田 三代子(かしまだ みよこ)
昭和27年 宮城県石巻市生まれ 血液型O型 牡羊座宮城県石巻市の北上川沿いの郊外出身。石巻女子高校(現石巻好文館高校)を卒業後、国立仙台病院付属看護学校にて看護師免許取得。
国立仙台病院の小児科と救命救急センターに通算7年間勤務する。
患者さんには優しく接しているが(院長にも優しく接するとさらに好感度が上がる?)、修羅場をくぐってきたせいか、いざというときの度胸は院長よりあるとのもっぱらの 評判。
院長が故橋本敬三先生の温古堂に研修に行ったのが縁で知りあう。
資格:看護師免許、美容師免許
趣味:映画・テレビ鑑賞、園芸